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うちの子育て、ちょっと聞いて

中米パナマに在住。1歳のわがまま娘、ネコ好きな夫との暮らしに関するこばなしです。

プロフィール

1983年生まれのポコリンヌです。

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いつも育児や海外、スキンケアなどの記事を書いたりしてますが、

はじめましての方にも、おなじみの方にも、

もう少し私を知っていただこうと思い、

今まで送ってきた人生を書いて行きますね〜

ではっっ!

 

生誕地・家族のこと

1983年、愛知県に生まれました。

父は貿易会社の経理(後に専門学校の経理へ)、

母は高校で家庭科の教師(後に福祉課へ転身し、教頭へ)をしておりました。

わたしは1歳になる前から保育園に行き、母は仕事に復帰しました。

昨今ではそうでもありませんが、当時は珍しかったかと思います。

父方の祖父母はうちの隣に住んでいましたので、保育園のお迎えは祖母でした。

そして父母の仕事が終わるまで、祖父母の家で過ごしていたものです。

兄弟は弟が2人いて、私は長女でした。

長男は1つ下、次男は3つ下です。

父方の祖父は身体が弱かったものの、昔気質の人で何かと弟を贔屓して私ばかり怒られていました。

が、祖母はそんなわたしをいつも庇ってくれたので、完全におばあちゃん子になっていました。

幼少期のわたし

学校の成績は中の上、まあまあいい程度でした。

得意なのは、国語、図画工作。

苦手なのは、体育、音楽。

 

習い事は、英語と習字。

英語は仕方なく習っているという感じで復習を全くしなかったので、全然身につきませんでした。今考えても、とても勿体無い時間でした。

習字は近所に有名な先生が教室を開いていたので、自然と習いはじめ、ライバルに負けまいとそれなりに頑張りました。

写生大会や書道大会では、小学校・中学校時代、校内・市内ではいつも金賞以上でした。

周囲からも認めてもらえていたので自負が生まれ、

「クリエイティブなものが得意」と自分でも思っていましたが、それはただの思い込みだったと気がついたのは大人になってからでした。

正確には、コピーするのが子どもの割に得意なだけだったかと思います。

大学入試の受験勉強

田舎に住んでいたこともあり、子どもの頃は非常にのびのびと過ごしていました。

塾には通わず、学校の勉強をベースにした学習でした。

高校受験に失敗し、少しレベルを落とした高校に進学したので、高校時代の授業は非常につまらなく思えたのを記憶しています。

親元を離れて一人暮らしをしたいと思っていましたが、それには国立大学でないと金銭的に気が引けてしまったので、国立大学に入ることを目指しました。

が、高校の授業では物足りないのは実感してましたし、塾にも通わずにほとんど自己流の勉強でした。

いや、正確にはC社さんの通信教育は高校生のときやっていたものの、特にやりたいからというわけではなく、営業の方が自宅にいらして、模試を無料で受けさせてもらい、その流れで教材も買ってしまったという・・・

「これ辞めて他のがいい」と親に言うこともできず、学校の勉強&C社さんの教材で勉強してました。

勉強にストイックに打ち込み、同時に生活サイクルもストイックに。

ガタイのよかった体型から10キロちょい減りました。

その後、何回か受けた全国模試では割とできたはずなのに、大学受験は失敗

かなり大きめのショックを受けます・・・が間も無く

当時、愛知県下ではナンバーワンだった河合塾へ入ることを決意。

大学受験はこうも効率的にできたのかと驚かされました。

翌年、第一志望ではなかったものの、

国語と英語の小論文で浪人時代に勉強したことが活き、無事に国立大学に入学することができました。

勉強とバイト漬けの大学生活

大学時代は、ほとんど学校・自宅・バイトの往復でした。

大学1年生のときに初めての彼氏ができたものの、冬にはフラれてしまい、ショックで大号泣。。。

お酒はこんなにも楽しいものだったのかと、カラオケはこんなにも悲しくものだったのかと身にしみました。

その元カレは同じ学内の人だったので、それまで以上に、大学での勉強、研究に打ち込んで忘れようとしました。

体重もさらに5キロほど減り、ガリ子さんに。

次にお付き合いしたのは大学3年生のとき。

バイト先でお客様にナンパされたことがきっかけでした。

4つ年上の社会人の方とてもわたしに優しくしてくれる方でしたが、

価値観があわないと感じ、進学するので勉強に打ち込みたいと話し、お別れすることにしました。

大学院に進学するつもりでしたが、研究職の閉塞感なら解放され、

社会を知りたいと思うようになり、4年生になってから就活を始めます。

就活を始めるのが遅かったこと、就職難の時代だったことに加え、

就職する自分をイメージすることができていなかったので、

とにかく霧の中を這い回るような、全く働く目的が明確でない就活でした。

とりあえず、東京で何か新しいことができればいい、そんな感じでした。

社会人:番組制作 (2007年)

最初はテレビ番組の制作会社でした。

と言っても、テレビ局でもなく、テレビ局と提携している制作会社でもなく、さらにその下の孫受けのような新設の制作会社でした。

最初の数ヶ月は事務所でのお手伝いや特番のヘルプをし、7月から日テレのゴールデンタイムのバラエティ番組配属になります。

自分より年下の先輩ADさん、いつも疲れ切っているディレクターさん、恐れ多くて直接話すことはないプロデューサーさん始め、多くの方と関わらせていただき、社会の厳しさを知る日々でした。

帰宅できるときは終電の後。日テレから自宅まで自転車で帰宅。

家に帰るのは寝るためというより、シャワーを浴びて着替えをするためのようなもの。深夜でもロケ弁食べる日が続き、あっという間に体重は7キロ増加!

仕事自体は楽しかったものの、体力の限界と女子らしさをこれ以上失うのは無理だと感じ、同じ年の12月に退社することにしました。

今の番組制作はかなり緩和されているようですが、当時は現場のブラックさは誇るものとされるくらいだったんです。

短い間でしたが、辛くとも当時の社会を知るいい経験だったと思います。

社会人:広告営業 (2008年〜2017年)

次に入社したのは、広告会社。TVCMを作るような大きいところではなくて、

当時は紙メディアがベースの小さなところでした。

が、面接段階で、当時の部長に人間的な魅力をなんとなく感じてしまい、入社を決めます。ADを辞めてから1ヶ月も経っていませんでした。

3年はその仕事に打ち込んだものの、それ以降はやめたいやめたいと思う日々でした。

自分がいくら努力しても、頑張っても組織自体がしっかりしていないと身にならないことがあると実感…

毎年同じような手法ではなく、WEBメディアとか動画とかを使って、

もっとスポンサーに寄り添う仕事がしたいと思っていました。

が、結局自分がやめる前に周りが辞めてしまったり。いつの間にか気軽に辞めることができない程度に昇進してしまっていたり。

夜の飲み会や、ストレス食いが重なり、MAX体重は入社してから10キロ…

もう、ガリ子だった大学時代の影も形もありませんでした。

そんな中でも、恋愛は3回ありました。

1回目は職場の先輩、2回目は講師の方、3回目は同僚。

1回目、2回目は数ヶ月で破綻してしまいましたが、3回目は4年ほどの付き合いになりました。

わたしの実家にも連れて行ったし、同棲もしてました。

・・・が、30代に突入した私を放置プレイ、清潔さに欠けた生活、夜遊びでお金を使い切っていることが発覚。

もうダメだと感じ、綿密な計画を立てた上で、有給を取得した日、彼が家を出た後にこっそり家出。

旦那との再会〜結婚(2015年〜2016年)

そんな時に再開したのが、同じ大学の同級生だった現・旦那。

彼は当時、仕事をやめて海外へ短期留学した後、帰国して暇してるプータローだったのですが、それでも前カレとは比較にならない優しさや野望を持ってました。

わたしは彼の再就職を全面的に応援することにしました。

週末になるとふたりでいろんなところに出かけ、いろんな未来の話をし、美味しいものを食べました。

彼はだんだん自信を取り戻し、語学の勉強に本腰を入れました。

その結果、TEOIC500点→875点を取ることができ、希望だった商社にも就職することができました。

その流れでサプライズプロポーズを受け、結婚。

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結婚式のリングピロー

付き合うようになってから、体重は4キロほど減りました。
まだまだ不要なお肉はたくさんありますが、それでもわたしを愛してくれる旦那に感謝。

妊娠・出産(2017年〜2018年)

妊娠が発覚したのは、入籍し、挙式をしてから 3ヶ月後のことでした。

と同時に、商社に入社した旦那に、念願の海外勤務の話が浮上します。

もともと、広告営業の仕事は辞めたいと思っていたし、旦那にもっと寄り添って、産まれてくる子どもと一緒に自分自身も学生時代にできなかった海外生活をしてみたい、見聞を広めたいという思いから出産のタイミングで退職することにしました

会社は入社時よりも成長し、自身も次長職になっていました。

以前は何度も何度も退社を引きとめられましたが、今回は理由は理由なので、無事に円満退職をすることができました。

そして、2018年1月、元気な娘を出産♡

 

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妊娠中に体重は11キロ増。。。

だいぶ元に戻りましたが、まだまだ。妊娠前ー5キロを目指します。

旦那の海外赴任 

赴任国の変更があり、少し後押しになりましたが、2018年8月からコロンビアに赴任しています。

旦那が先に現地に行き、生活環境を整えてくれてから、わたしと娘は向かう予定です。 

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成田空港で見送りに

実家に帰省(2018年)

旦那がいないので、東京から実家に帰省。

15年ぶりに住む実家は懐かしく感じますが、娘がきてじじばばはかなり喜んでいます。

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祖父母・娘と

いやー、実家住まいは楽ですな!

生活時間は合わせないいけない苦労はありますが・・・

コロンビアで単身赴任している旦那のところにも、1歳の娘と二人で旅行してきましたよ。

 

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そして今、パナマ へ引っ越し(2019年)

私たちもコロンビアへと思いきや、旦那の異動に伴い、お隣の中米パナマ へ引っ越してきました。

 これからしばらく、パナマ での生活・子育てについて書いて行こうと思います。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

これからもよろしくお願いいたします。

 

おわり。